2014年10月4日土曜日

朝日新聞の件で思うこと

少し前、朝日新聞の問題が大きな騒ぎとなりましたが、細かい論評はここでは避けるとして、従軍慰安婦問題では、信憑性のない証言をもとに、日本軍による強制連行があった、と誤報道し、それも一つの大きなきっかけとなって、我が国が国際的に大きな誤解を受ける結果となりました。その上、その事実誤認を認めるのに32年もの歳月が掛かり、明確な謝罪もしていません。福島原発の吉田調書の曲解報道もひどいものでした。9月11日の木村伊量社長の会見は、その会見そのものが自社や自分の保身を目的としたものであったことが透けて見えるような内容に終始し、この報道機関の体質をより一層はっきりと世間に晒してしまいました。

結局、自分の耳に痛いことや厳しいことを言ってくれる人を大事にできるかどうかがその人や組織の器量を決めるものだと思います。池上彰さんのコラム掲載拒否の一件がわかりやすかったですが、朝日は、自分達に都合の悪いことを握り潰すような体質がすっかり染みついていたという印象も世間に与えてしまいました。公正さが信条の報道機関の資質はもはや失われてしまったのでしょうか。欧米のメディアでは、社説と異なる外部有識者の意見をOp-ed(Opposite editorial)と称して積極的に掲載しバランスを保つ努力をしています。池上さんのコラムもまさにそのような役割を果たすためのものであったと思いますし、それを普通に掲載していればまだ救われたと思いますので、本件の対応を誤ったことも残念でした。

しかし、今回のような話は、果たして朝日新聞だけの問題でしょうか?決してそんなことはなく、ごく日常的な光景でもあると思います。人間というのは実に弱く愚かなもので、すぐに勘違いして傲慢になったり、尊大になったりして、外部の批判に激高したり、内部の諫言を退けたりするものです。これをまさに他山の石として、いま朝日新聞のバッシングに躍起になっている競合メディアや、その他一般の人達も、普段の自分の態度を振り返るきっかけにするのがいいのではないでしょうか。耳の痛いことを直言してくれる人、厳しく批判してくれる人、普段の立ち居振る舞いにこまごまと注意をしてくれる人、そういう人に対して怒ったり、煩わしく思ったりするのではなく、かけがえのない人として、謙虚に耳を傾け、心から感謝しているかどうか、ということを。

結局、組織の凋落というものも、人の傲慢さに端を発するものだと思います。日本にはいいことわざがたくさんあります。「おごれる人も久しからず」、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、「勝って兜の緒を締めよ」等々。昔、ソニーの盛田昭夫さんは、世の中が好景気で、会社も絶好調の時に、真っ先に「荒天準備」と言っていました。海軍や船乗りの言葉で、「嵐に備えよ」ということですが、好景気や、会社の好業績に浮かれることなく、常に自ら気を引き締めていたのだと思います。

今のソニーの状況や、朝日新聞の状況は、どこかに共通点があるのかもしれません。

(*講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です)

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