2014年10月6日月曜日

ソニーはどこで間違えたのか

すっかりおなじみの光景となったソニーの業績下方修正。そのたびにメディア各社からの問い合わせが入る。いったい、ソニーはどうなってしまったのかと。私がソニーを辞めたのは〇六年三月のことであるから、既に九年近い歳月が流れた。ソニー時代最後の数年間の思い出はいまだにほろ苦く、当時の記憶は完全に封印したくもある。

巷ではさまざまな評論家達がソニー凋落の理由を取沙汰する。中には、直接取材もせず裏もとらない憶測と偏見に満ちたいい加減なものも散見される。しかし、ただ一つ言えることは、ソニーの凋落を誰よりも無念に思っているのは、ソニーを心から愛し、ソニーに人生を捧げ、ソニーの一員であることを誇りに思って力尽きるまで闘い抜いた戦士達なのではないだろうか。そしてその多くがそれぞれの闘いに敗れ、評論家や傍観者達には決してわからない思いを胸に残しながら、ソニーを去った。

私は、ソニーを辞めるとき、遠からずこのような凋落の日が来るであろうことを予測した。既に当時から、ソニーは持てるエネルギーの大半を外向きよりも内向きに使って、自らを消耗させるような陰湿な体質の会社に変容しつつあったからだ。内部抗争や保身にうつつを抜かすような連中が急激に異常繁殖し始めていた。盛田昭夫さんは「ネアカ」という言葉を好んで使っていたが、まさに「陽」から「陰」への体質転換が急速に進んでいたのだ。

以前のソニーには、好奇心旺盛で負けず嫌いな目をキラキラさせた少年達が集まっているような無邪気なところがあった。それを井深大さん、盛田さんという二人の偉大な創業者を始め、世界のソニーを創り上げた珠玉のような重鎮達が見守り、育て、世界に羽ばたかせてくれた。とんでもない跳ねっ返りエンジニアのぶっ飛んだ商品アイデアの話に嬉しそうに耳を傾け、時には一緒に悩み、時には見て見ないフリを決め込み、たとえ失敗しても、上手に闇に葬ってなかったことにしてくれるようなおおらかで懐の深い上司がそこかしこにいたものだ。文字通り「自由闊達」な雰囲気に満ちた光り輝く宝石のような会社だったのだ。

「ソニー神話」という言葉もあったが、全盛期のソニーは、モルモットとも呼ばれ、トランジスタ・ラジオや、トリニトロン・テレビを始め、時代の最先端を行く家電を次々と生み出していた。パーソナル家電という分野もソニーが創造した市場であり、パーソナルオーディオの先駆けとなったウォークマンや、パーソナルゲームの流れを作ったPSPなど、現在のスマホにも繋がる系譜を生み出した。また、犬型ロボットAIBOや、人型ロボットQRIOなどを誕生させた会社でもある。「人のやらないことを真っ先にやる」を信条とし、グーグルなどが登場する時代を圧倒的に先んじて最先端の分野に取り組んでいた。

そんなソニーの異変を初めて強く意識したのは、〇二年頃、「コクーン」というマシンを作った時のことである。Linuxを用いたコンピュータとしての家電であり次世代テレビを意識したマシンで、ハードウェアだけでなく、インターネットとの連携を重視して専用のポータルも同時に開発した。基本コンセプトは「成長する家電」。顧客が購入して使い始めると、その好みを学習しながら機能をカスタマイズしていく、という当時としては画期的なマシンであった。ネットを通じて常にファームウェアを最新のものに自動更新する機能も備えていた。しかし、当時の経営幹部の中でこのマシンの真の意味を正しく理解できる人はほとんどいなかった。明らかに触ってみたことすらない連中から的外れな批判をされることもあった。あれだけ新しいものが好きで、好奇心旺盛だったソニーの根幹に異変が起きつつあるように感じた。

決定的だったのは、コクーンに続いて、〇三年に「スゴ録」という家庭用録画機を作った時のことだ。当時、国内マーケットでは、先行したパナソニックの「ディーガ」のシェアが圧倒的だった。カンパニーから工場、営業まで一丸となり巻き返しに躍起だったさなか、あろうことか、同じソニーグループから「PSX」という対抗馬をぶつけられたのだ。市場ではスゴ録の圧勝だったにもかかわらず、何故か私はカンパニープレジデントを解任された。この時、当時の上司だった上席常務からは「ソニーだから出せば売れるんだ」と言われた。既に劣化し始めていたソニーブランドの威信を取り戻すために共に必死で闘った仲間達の顔が浮かび悔しくてならなかった。ソニーブランドの価値にただぶら下がって食いつぶしているだけの怠慢で傲慢な発言だと思った。

そして、私がソニーを去る直接のきっかけとなったのが、ウォークマン巻き返しのコネクトカンパニーを引き受けたことだ。最初からほとんど勝ち目のないプロジェクトを引き受けるのは無謀で、硫黄島に送り込まれる青年将校のような悲痛な思いであったが、まだ今ならぎりぎり何とかなるかもしれないと一縷ののぞみに賭けた。しかし、当時の副社長の一人から、「アップルに頭を下げてiTunesを使わせてくれ、と言えばすむ話だろ」と言われたことは忘れられない。社運を賭けて懸命にアップル対抗をやっているそのさなかに、まさに信じられない発言であった。コネクトカンパニーは発足から一年余りで解体となり、私は文字通り敗軍の将となってソニーを去った。

ワークステーションや、ロボットなど、多大な貢献をされた天外伺朗氏が、後年、ソニーの「燃える集団」が、次々と奇跡を起こした秘密を「フロー理論」で説明しているが、運をも味方にしてしまうような数々の奇蹟は、井深さんのような技術者による、指示も命令もしない「徳」でおさめる「長老型マネジメント」の功績であるとしている。しかし、その後のソニーは、ロボットという次世代産業をゼロから築き上げるような壮大なチャレンジですら、「儲からない」という理由で惜しげもなくつぶしてしまい、天外氏もソニーを去った。

ソニーが復活するためには、まず、今の内向き体質や無責任体質を一掃することが急務だろう。社員に夢をもたせ、楽しんで困難にチャレンジする燃える集団を創り上げて難局を打破するのが経営の責務である。業績悪化のたびにその責任を現場社員に転嫁し、リストラばかり繰り返すうちに、すっかり「陰」の暗い体質が染みついて取り返しがつかない状態になりつつある。 

そして、脇道に逃げないことだ。課題に正面から向き合わずに会社の建て直しが叶うはずもない。既にVAIOは売却し、テレビも分社化した。失われた時間や人材や資産を取り戻すことはできないし選択肢も限られている。

「海賊とよばれた男」出光佐三氏は、戦後、出光興産の再興にあたって一人の社員のクビも切らず、玉音放送の直後に「愚痴を止めよ」というメッセージを発信した。「戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び起ち上がる」と述べ、「ただちに建設にかかれ」の号令と共に艱難辛苦をものともせずに出光興産を復活させた。今のソニーに欠けているのはこのような強烈なリーダーシップであろう。

愚痴や言い訳やリストラはもういい。日本人が創業して世界企業に育て上げた誇りを再び取り戻すのだ。そして、困難な道に自ら飛び込む志の高いサムライ達を再結集し、自分達をどこまでも信じて脇目も振らずに全力で身を挺して再建にあたる。そうすれば不可能なことなど何一つない。そう信じている。

*本稿は文藝春秋社の週刊文春10月2日号(9月25日発売)掲載記事の転載です。

2 件のコメント:

  1. 並Perfumeを捨てて特上Perfumeになります!と宣言したら、今までは「並」であったと認めることになる、「並」を否定することになる。
    特上Perfumeが失敗したら、今度は超特上Perfumeだと宣言するのだろうか?

    ネーミングや商品のラインナップで「目先」を変える戦略は、「その場しのぎ」にはいいかもしれないが、「質」がともなっていなければ長続きはしない。長続きするには「窯変」が起こる確率を高くする社会にしなければならない。自由で闊達で、そう、昔のソニーのような・・・ ねぇ、辻野様!

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  2. 私は辻野さんの直接の部下ではありませんでしたが、当時辻野さんがソニーを去るまでの激動の数年間を陰ながらみてました。 親しい人を集めての送別会でのエピソードも聞いておりますが、率直に申し上げて完全燃焼ではなかったかと思います。 その私も結局はソニーを卒業しました。

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