2019年9月30日月曜日

見知らぬ外国人

先日、JR山手線で打ち合わせに向かう途中、空いた座席に腰かけ、手持ちの数表資料を取り出して読み始めたところ、隣に座っていた外国人がその資料を横から露骨に覗き込み、流暢な日本語で「大変そうですね。私が見ましょうか?」と冗談っぽく話しかけてきました。

目的の駅に到着するまでにその資料を読み込んでおく必要があったので少々困惑したのですが、とてもチャーミングな感じの人だったので、あきらめて資料を仕舞い、その人とすっかり話し込んでしまいました。

ニュージーランドの大学で心理学を専攻したのち、文科省の奨学金を得て日本の大学に留学して日本語を学び、そのまま日本に住み着いたそうです。現在はイノベーティブ・シンキングを専門にする経営コンサルティング会社の代表をしているそうで、ほんの短時間でしたが、ラグビーからイノベーションにわたるまでいろんな話題で盛り上がってしまいました。

最近、日本から世界を変えるようなイノベーションが起きていないことについて、欧米型の褒める文化と日本型の叱る文化の違い、日本人は会社などでもっとオープンに自分の意見を言わなければいけないよね、とか、みんな自信がなさそうだけどもっと自信を持たなければいけないよね、という点では意見が一致しました。

また、日本人同士では、彼のように見知らぬ人に気軽に話しかける習慣がなく、例えば飛行機で座席が隣同士になって長時間乗り合わせるようなときにも会話がないことが珍しくないけど、アメリカ人やニュージーランド人では会話をしないことはまずないね、という話になり、相手がよっぽどおかしな人でもない限り、それはつまらないし人生の機会損失だよね、という話にもなりました。

山手線などの通勤電車ではあまりない経験ですが爽やかで愉快な出来事でした。

2019年8月25日日曜日

世界的に不寛容な時代の日本の役割

戦争に近づいていく不安

この原稿を書いているのは2019年8月15日の終戦記念日。「8月ジャーナリズム」という表現もあるそうだが、毎年8月は戦争についての報道を目にする機会が多い。

しかし、毎年ただ儀式のように戦争を思い出し平和の尊さを語っているだけで平和を維持し続けることはできない。

特に最近は、戦争から遠ざかるにつれてまた戦争に近づいていくようなそこはかとない不安を感じることが多くなった。

今、世界に目を向けると、ドナルド・トランプ米大統領が仕掛けた米中の貿易戦争や技術覇権争いは激化の一途をたどる。また、同氏が一方的に核合意を破棄して悪化したイランとの関係はホルムズ海峡における緊張を高めている。冷戦終結の象徴となった米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約も失効した。

欧州では、英国のEU離脱を図るBrexitを扇動したボリス・ジョンソン氏が新首相となり、交渉期限の10月末までに合意無き離脱も辞さないと宣言している。

日韓関係も、文在寅大統領の政治スタンスに端を発して史上最悪といわれるほど悪化しつつあり、北朝鮮は再び中短距離ミサイルの発射を繰り返している。

米国内では銃の乱射事件が後を絶たず、香港では「逃亡犯条例」改正案への抗議デモや警察による弾圧が過激さを増す一方で、アジア有数のハブ空港が機能停止に追い込まれた。

国内に目を転じると、京アニ放火事件やあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」騒動などが続き、ネットを覗けば、自分の意に沿わない出来事や他人の意見に対して、「ボケ」「クズ」「非国民」などと口汚く罵るような攻撃的なメッセージが溢れている。

今や国内外で、対立、分断、憎悪(ヘイト)、差別、恫喝、威嚇、脅し、暴力の連鎖が異様に目立つようになった。ここ数年の間に、かつてないほど不寛容でネガティブなエネルギーが一気に世間に充満した印象だ。

戦争を知らない大人たち

人間の「怒り」や「憎しみ」といった感情は恐ろしい。一人の小さな怒りや憎しみが最後は殺人やテロ、戦争に繋がっていく。

1970年代初頭、『戦争を知らない子供たち』という歌が流行ったが、当時の戦争を知らない子供たちも、今では皆いい歳だ。

安倍晋三総理をはじめ現政権を担っている人たちや、中西宏明経団連会長など経済界の人たちも皆戦後生まれの「戦争を知らない大人たち」だ。かつて、田中角栄元首相は「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は危ない」と言っていたそうだ。

北方領土視察で暴言の限りを尽くし、挙句の果てには戦争による領土奪還を口にして物議をかもした国会議員がいたが、戦争を放棄して平和国家になったはずのこの国で、いつの間にかまた戦争を肯定するような言動が目立つようになってきていることには激しい嫌悪感を禁じ得ない。

2015年、多くの憲法学者が違憲立法と指摘する安保法制が強行採決で成立し、武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に置き換えられて、長く封じ込められてきた戦争ビジネスが実質解禁された。

防衛省主導のもと、経団連をはじめとした経済界もその動きを歓迎している。政権の暴走にあからさまに異を唱える経済人は一人もいない。

海外の武器展示会で、防衛副大臣が不慣れな手つきで武器を構える映像や、防衛省の課長クラスが「今後防衛産業を国家の成長産業にする」と公然と発言する映像がネットに流れたが、実におぞましい思いがした。

安倍総理がやってきたこと

今年の広島、長崎の平和記念式典では、両市の市長が、国連の核兵器禁止条約に加わるよう、来賓の安倍総理にあらためて訴えかけた。だが、安倍総理は型通りのあいさつを繰り返しただけで核兵器禁止条約について触れることはなかった。

かつて、ICANのノーベル平和賞受賞に際しても冷たい対応に終始し、沖縄に対しても、何度も示された沖縄の民意に反して一貫して冷淡かつ強引な態度を取り続けていることは、現政権のスタンスを如実に示している。

本来、米軍基地負担を一身に担う沖縄へ寄り添い続けること、および唯一の被爆国として、核不拡散や核兵器の全面的な廃絶に向けて先頭に立って尽力し続けることは、日本国としての基本的立ち位置である。

それを自ら踏みにじるような数々の行為は、多くの国民にとって決して気持ちのよいものではない。

2年前、安倍総理が、長崎の被爆者代表に「あなたはどこの国の総理ですか?」と面と向かって問われていた光景はまさに鮮烈だった。

昨年2月、トランプ政権が米国の核戦略の指針「核態勢見直し(NPR)」を発表し、爆発力を小さくして機動性を高めた小型核兵器の導入に言及した際には、河野太郎外相が「高く評価する」という談話を発表したことにも驚いた。

米国は、世界で唯一、人類に対して実際に核攻撃を実施した国だ。その標的とされた我が国の責務は、今や同盟国である米国の暴走を煽ることではなく、抑えることであるのを間違えないでもらいたい。

憲法で明確に戦争を放棄した我が国を、強引な手法でなし崩し的にまた戦争が出来る国に仕立て直そうとするやり口は尋常ではない。

改憲はその総仕上げとしての目論見にしかみえない。参院選後も安倍総理は改憲に執心の様子だが、改憲を持ち出す前に、日本国憲法について「押し付けられたみっともない憲法」などと公言して現行憲法を軽視する態度こそをまずは改めていただきたい。

「歴史は繰り返す」というが、それは人間の寿命と関係している。悪しき歴史も悲惨な過去も、それを実際に体験した人たちがこの世からいなくなることによって、貴重な体験が忘れ去られたり薄まったりしてまた同じようなことを繰り返すからだ。

人間とは愚かな存在であることを自覚せねばならない。

戦後生まれの戦争を知らない世代がマジョリティとなって社会の要職を占めるようになると、「戦争は二度と起こしてはならない」という当たり前のことすらだんだんわからなくなっていく。田中角栄氏の予言がまさに現実となりつつあるのは実に恐ろしいことだ。

戦争と経営者と覚悟

ノンフィクション作家の立石泰則氏が『戦争体験と経営者』(岩波新書)という本を出している。

フィリピン戦線から奇跡的な生還を果たしたダイエーの中内功氏や、インパール作戦に従軍して九死に一生を得たワコールの塚本幸一氏など、生き地獄のような戦場を体験したからこそ、生き延びて復員してからは徹底して平和主義を貫いた戦後の経済人を数名取り上げ、彼らの平和へのこだわりと迫力ある生き様を簡潔に描いている。

この本の前書きに、立石氏が長年にわたってインタビューして来た多くの経済人を振り返ったとき、「経営理念も経営手法もまったく異なる、そして様々な個性で彩られた経営者たちであっても彼らの間には『明確な一線』を引ける何かがある」とあり、それは「戦争体験」の有無だ、としている。

私が世話になった企業であるソニーの起源は、終戦直後の今でいうベンチャー企業だった。創業者の井深大氏も盛田昭夫氏も戦争体験者だ。

一般的に、戦争は最先端の技術開発を促すと共に、市場拡大や需要喚起など、経済を拡大させる手段として位置付けられてきた。

しかし、井深大氏の主張は真逆だった。彼は、軍需をやりたがる経団連に異を唱え、「アメリカのエレクトロニクスは、軍需をやったためにスポイルした」と述べて憚らなかったそうだ。

また、「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ戦後の経済人、中山素平氏は、1990年、湾岸戦争で自衛隊の派兵が論議されていたとき、派兵に反対して「派兵はもちろんのこと、派遣も反対です。憲法改正に至っては論外です。第二次世界大戦であれだけの犠牲を払ったのですから、平和憲法は絶対に厳守すべきだ。そう自らを規定すれば、おのずから日本の役割がはっきりしてくる」と語ったそうだ。

今、井深氏や中山氏のような発言を堂々とする経営者や経済人は見当たらない。

戦争体験者や被爆体験者が高齢化して次々とこの世を去っていく。

今や太平洋戦争のことを知らない若者が普通にいて、戦争を煽るようなことを軽々しく口にする政治家や経営者が少なからず出現し始めている。

冒頭述べた通り、世界的に対立、分断、格差が広がっていく中、日本においても子供や若者、高齢者の貧困が拡大している。

対立や分断、格差や貧困から生まれる怒りや憎しみは、好戦家たちのあおりによって容易に増幅していく。

政治家たちが暴走し、内閣に人事権を握られた官僚や検察や司法が機能不全に陥り、権力を監視する役割を担うはずのマスメディアもその役割を果たせずにいる。そのような中で、この国が「戦争」との距離を再び縮めるようなことがないよう、問題解決の手段から徹底して「戦争」を排除するコンセンサスを再び創り上げる実行力を持つのはもはや経営者しかいない。

大小問わずビジネスをつかさどるリーダーたちには、その覚悟が求められているような気がする。


(講談社現代ビジネスへの寄稿から転載)

2019年7月22日月曜日

民主主義国家とはなんだろう

参議院議員選挙が終わりました。投票率は48.8%だったとのことです。国政選挙で投票率が50%を割ったのは実に24年ぶりだそうです。アメリカやフランスなども国政選挙の投票率は必ずしも高くないようですが、投票率が低い理由はさまざまあっても、有権者の半分以上が投票に行かない国をはたして民主主義国家と言えるのでしょうか、、、

今回の参院選で自公が訴えたのは「政治の安定」でした。ただし、彼らが唱える「政治の安定」とは、国会を軽視あるいは無視して数の力で押し切ることのようにみえます。「あったこと」を「なかったこと」にして公文書を改竄・隠蔽したり、国家の統計データを都合よくごまかしたり、逆に都合の悪い年金報告書を「受け取らない」と閣議決定したり、、、

しかし、今回の選挙結果からシンプルに読み取れることは、投票に行かずに白紙委任した人たちも含めて、この状況を肯定している人たちがマジョリティの国なのだ、という現実です。選挙制度にもさまざまな歪はありますが、この現実は現実として受け止めるしかありません。

2019年6月10日月曜日

トゥキディデスの罠

米中貿易戦争が激化しています。これはもちろん単なる貿易収支上の不均衡を問題にしただけの話ではありません。「貿易×技術覇権×安全保障」という形での米中新冷戦の始まりです。従来の覇権国家と新興国家が激しくぶつかり合う現象を「トゥキディデスの罠」というそうですが、急速に台頭してきた中国の脅威に対する米国の焦りや苛立ちは相当なものです。米国では、民主党など反トランプの人たちも、彼の対中国への強硬姿勢にはおおむね同調しています。

これまでのオープンでグローバルな経済秩序は米国にとっては不利に、中国にとっては有利に機能してきたと捉えると、トランプと習近平はそこを共通認識とした上で、トランプは今の戦略的秩序を維持したい、そしてそのために経済秩序を変えたい、習近平は今の戦略的秩序を変えたい、そしてそのために経済秩序は維持したい、という真逆の立場です。

サプライチェーン・リスクは国家の安全保障にも直結するため、グローバル・サプライチェーンの再構築が始まっています。米国や同盟国がファーウェイを締め出す一方で(英国とドイツを除く)、ロシアはファーウェイを使った5Gインフラ構築を積極推進すると発表しており、中露の接近は米国の危機感をさらに高めています。ちなみに、5Gの必須特許はその34%を中国が握っており、ファーウェイはその筆頭企業です。ファーウェイの持つ先進的な5G技術は、長く軍事力や経済力、およびそれらを支える技術力において他国を圧倒して来た米国の地位を揺るがす可能性があるのです。

今月末に大阪で開催されるG20でトランプと習近平が何を話すのかに世界は固唾を飲むことになりそうです。



2019年4月1日月曜日

桜を愛でる国の文化

春は一年の中でもっとも華やぐ季節です。桜の開花が冬の終わりと春の訪れを告げ、着慣れないスーツを身にまとった新社会人たちが街に溢れ、明るく新鮮なエネルギーが満ち溢れます。

ところで、毎年思うのですが、桜というのは実に不思議な植物です。一年のうちにたった一度だけごく限られた短い時間に限って華やかな花を咲かせ、その後はさっと散ってしまいます。

花を付けている間は、私たちを前向きで元気な気分に高揚させ、生命力を限りなく高めてくれるような気がします。一方で、花が散るときには人生のはかなさとも重ねあわせて、感傷的な気分をたっぷりと味わわせてもくれます。「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛和尚の名句がありますが、「生命の輝き」と「はかなさ」を、この一句の中で三度も「桜」を使うことによって余すところなく表現しているように感じます。

毎年、桜の開花を待ち焦がれ、開花とともにお祭り騒ぎをして、散る桜を見ながら人生のはかなさを思う――こんな植物は桜以外にはなかなか思いつきません。さらに付け加えると、桜は、少なくとも一年で三回、私たちを楽しませてくれます。花が散ったあとの新緑の美しさは格別ですし、秋の紅葉も見事です。

国策に沿った観光庁や旅行会社のプロモーション効果もあり、日本を訪れる外国人が急増していますが、日本の花見は海外でも広く知られるようになりました。花見を目的とした来日客も増えています。日本の文化は桜という植物なしには考えられませんが、海外の人たちにも、日本文化の奥行きを桜の素晴らしさと共に感じ取って欲しいものです。


2019年3月11日月曜日

東日本大震災から8年

東日本を襲った大震災から丸8年が経過しました。ざっと振り返ってみると、まさに激動の8年間だったように感じます。震災からの復興では、この歳月で進んだ部分と進まない部分がありますが、福島の原発災害の後処理の進捗や放射能汚染の実態については、本当のことがよくわからない、というのが多くの人たちの感覚でしょう。

加えて、最近では厚労相の統計問題が深刻ですが、森友問題での財務省による公文書改竄あたりから、だんだんと自分の母国が信用できなくなってきました。森友・加計問題をはじめ、スーパーコンピュータの補助金問題や、リニア新幹線の汚職、裁量労働制を巡る不正データ問題や、省庁や自治体などでの障害者雇用の水増し問題など、ここ数年で起きた日本の中枢が絡むさまざまな事件について、結局真相は何も解明されないまま、あるいは国民に知らされないまま、どんどん世間から忘れ去られていきます。

真相を知る人たちがそれを言わずに隠す、責任を取る立場の人たちが責任を取らずに開き直る、真実を追求する立場の人たちがその責務を果たさない、といった光景が今や当たり前のようになっていますが、当たり前にしていて良いはずがありません。

3月11日を迎え、あらためて8年という歳月の重さを認識しつつ、そんなことを思いました。

2019年1月1日火曜日

2019年 新年のご挨拶

新年おめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い致します。

本年4月末での天皇退位が決まってから、メディアなどで「平成最後」という表現が頻繁に使われるようになりました。日本人は、このように時間の流れをいろいろと区切ってラベルを貼り、けじめにしたり、その時代を語ったりするのが好きですよね。「昭和の時代を振り返るとか」「平成の30年とは何だったのか」といったようなタイトルのテレビ番組や新聞の特集記事などが年末年始には溢れていました。

これは、日本人が時代の流れや歴史を考える時の特性として良いことでもあると思いますが、その一方で、世界を俯瞰すると、「昭和」とか「平成」とかという日本特有の時間の塊は存在せず、ただ連続した時間の流れが過去から現在そして未来へと連綿と続いているだけです。時間の流れに対する捉え方というのは我々の世界観や発想法にも影響を与えていると思います。

「昭和世代のオヤジ」とか「平成生まれの若者達」などという表現は、一見わかりやすいようですが、無意味なレッテルを貼って我々の解釈を惑わせたり、思考停止にしてしまう危険な表現でもあるような気がします。今年は、あらためて世の中の常識や慣習に流されず、自分の眼と耳と頭で判断することを心掛けたいと思います。

2019年が皆様にとりまして素晴らしい一年となりますことを祈念しております。