2019年8月25日日曜日

世界的に不寛容な時代の日本の役割

戦争に近づいていく不安

この原稿を書いているのは2019年8月15日の終戦記念日。「8月ジャーナリズム」という表現もあるそうだが、毎年8月は戦争についての報道を目にする機会が多い。

しかし、毎年ただ儀式のように戦争を思い出し平和の尊さを語っているだけで平和を維持し続けることはできない。

特に最近は、戦争から遠ざかるにつれてまた戦争に近づいていくようなそこはかとない不安を感じることが多くなった。

今、世界に目を向けると、ドナルド・トランプ米大統領が仕掛けた米中の貿易戦争や技術覇権争いは激化の一途をたどる。また、同氏が一方的に核合意を破棄して悪化したイランとの関係はホルムズ海峡における緊張を高めている。冷戦終結の象徴となった米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約も失効した。

欧州では、英国のEU離脱を図るBrexitを扇動したボリス・ジョンソン氏が新首相となり、交渉期限の10月末までに合意無き離脱も辞さないと宣言している。

日韓関係も、文在寅大統領の政治スタンスに端を発して史上最悪といわれるほど悪化しつつあり、北朝鮮は再び中短距離ミサイルの発射を繰り返している。

米国内では銃の乱射事件が後を絶たず、香港では「逃亡犯条例」改正案への抗議デモや警察による弾圧が過激さを増す一方で、アジア有数のハブ空港が機能停止に追い込まれた。

国内に目を転じると、京アニ放火事件やあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」騒動などが続き、ネットを覗けば、自分の意に沿わない出来事や他人の意見に対して、「ボケ」「クズ」「非国民」などと口汚く罵るような攻撃的なメッセージが溢れている。

今や国内外で、対立、分断、憎悪(ヘイト)、差別、恫喝、威嚇、脅し、暴力の連鎖が異様に目立つようになった。ここ数年の間に、かつてないほど不寛容でネガティブなエネルギーが一気に世間に充満した印象だ。

戦争を知らない大人たち

人間の「怒り」や「憎しみ」といった感情は恐ろしい。一人の小さな怒りや憎しみが最後は殺人やテロ、戦争に繋がっていく。

1970年代初頭、『戦争を知らない子供たち』という歌が流行ったが、当時の戦争を知らない子供たちも、今では皆いい歳だ。

安倍晋三総理をはじめ現政権を担っている人たちや、中西宏明経団連会長など経済界の人たちも皆戦後生まれの「戦争を知らない大人たち」だ。かつて、田中角栄元首相は「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は危ない」と言っていたそうだ。

北方領土視察で暴言の限りを尽くし、挙句の果てには戦争による領土奪還を口にして物議をかもした国会議員がいたが、戦争を放棄して平和国家になったはずのこの国で、いつの間にかまた戦争を肯定するような言動が目立つようになってきていることには激しい嫌悪感を禁じ得ない。

2015年、多くの憲法学者が違憲立法と指摘する安保法制が強行採決で成立し、武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に置き換えられて、長く封じ込められてきた戦争ビジネスが実質解禁された。

防衛省主導のもと、経団連をはじめとした経済界もその動きを歓迎している。政権の暴走にあからさまに異を唱える経済人は一人もいない。

海外の武器展示会で、防衛副大臣が不慣れな手つきで武器を構える映像や、防衛省の課長クラスが「今後防衛産業を国家の成長産業にする」と公然と発言する映像がネットに流れたが、実におぞましい思いがした。

安倍総理がやってきたこと

今年の広島、長崎の平和記念式典では、両市の市長が、国連の核兵器禁止条約に加わるよう、来賓の安倍総理にあらためて訴えかけた。だが、安倍総理は型通りのあいさつを繰り返しただけで核兵器禁止条約について触れることはなかった。

かつて、ICANのノーベル平和賞受賞に際しても冷たい対応に終始し、沖縄に対しても、何度も示された沖縄の民意に反して一貫して冷淡かつ強引な態度を取り続けていることは、現政権のスタンスを如実に示している。

本来、米軍基地負担を一身に担う沖縄へ寄り添い続けること、および唯一の被爆国として、核不拡散や核兵器の全面的な廃絶に向けて先頭に立って尽力し続けることは、日本国としての基本的立ち位置である。

それを自ら踏みにじるような数々の行為は、多くの国民にとって決して気持ちのよいものではない。

2年前、安倍総理が、長崎の被爆者代表に「あなたはどこの国の総理ですか?」と面と向かって問われていた光景はまさに鮮烈だった。

昨年2月、トランプ政権が米国の核戦略の指針「核態勢見直し(NPR)」を発表し、爆発力を小さくして機動性を高めた小型核兵器の導入に言及した際には、河野太郎外相が「高く評価する」という談話を発表したことにも驚いた。

米国は、世界で唯一、人類に対して実際に核攻撃を実施した国だ。その標的とされた我が国の責務は、今や同盟国である米国の暴走を煽ることではなく、抑えることであるのを間違えないでもらいたい。

憲法で明確に戦争を放棄した我が国を、強引な手法でなし崩し的にまた戦争が出来る国に仕立て直そうとするやり口は尋常ではない。

改憲はその総仕上げとしての目論見にしかみえない。参院選後も安倍総理は改憲に執心の様子だが、改憲を持ち出す前に、日本国憲法について「押し付けられたみっともない憲法」などと公言して現行憲法を軽視する態度こそをまずは改めていただきたい。

「歴史は繰り返す」というが、それは人間の寿命と関係している。悪しき歴史も悲惨な過去も、それを実際に体験した人たちがこの世からいなくなることによって、貴重な体験が忘れ去られたり薄まったりしてまた同じようなことを繰り返すからだ。

人間とは愚かな存在であることを自覚せねばならない。

戦後生まれの戦争を知らない世代がマジョリティとなって社会の要職を占めるようになると、「戦争は二度と起こしてはならない」という当たり前のことすらだんだんわからなくなっていく。田中角栄氏の予言がまさに現実となりつつあるのは実に恐ろしいことだ。

戦争と経営者と覚悟

ノンフィクション作家の立石泰則氏が『戦争体験と経営者』(岩波新書)という本を出している。

フィリピン戦線から奇跡的な生還を果たしたダイエーの中内功氏や、インパール作戦に従軍して九死に一生を得たワコールの塚本幸一氏など、生き地獄のような戦場を体験したからこそ、生き延びて復員してからは徹底して平和主義を貫いた戦後の経済人を数名取り上げ、彼らの平和へのこだわりと迫力ある生き様を簡潔に描いている。

この本の前書きに、立石氏が長年にわたってインタビューして来た多くの経済人を振り返ったとき、「経営理念も経営手法もまったく異なる、そして様々な個性で彩られた経営者たちであっても彼らの間には『明確な一線』を引ける何かがある」とあり、それは「戦争体験」の有無だ、としている。

私が世話になった企業であるソニーの起源は、終戦直後の今でいうベンチャー企業だった。創業者の井深大氏も盛田昭夫氏も戦争体験者だ。

一般的に、戦争は最先端の技術開発を促すと共に、市場拡大や需要喚起など、経済を拡大させる手段として位置付けられてきた。

しかし、井深大氏の主張は真逆だった。彼は、軍需をやりたがる経団連に異を唱え、「アメリカのエレクトロニクスは、軍需をやったためにスポイルした」と述べて憚らなかったそうだ。

また、「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ戦後の経済人、中山素平氏は、1990年、湾岸戦争で自衛隊の派兵が論議されていたとき、派兵に反対して「派兵はもちろんのこと、派遣も反対です。憲法改正に至っては論外です。第二次世界大戦であれだけの犠牲を払ったのですから、平和憲法は絶対に厳守すべきだ。そう自らを規定すれば、おのずから日本の役割がはっきりしてくる」と語ったそうだ。

今、井深氏や中山氏のような発言を堂々とする経営者や経済人は見当たらない。

戦争体験者や被爆体験者が高齢化して次々とこの世を去っていく。

今や太平洋戦争のことを知らない若者が普通にいて、戦争を煽るようなことを軽々しく口にする政治家や経営者が少なからず出現し始めている。

冒頭述べた通り、世界的に対立、分断、格差が広がっていく中、日本においても子供や若者、高齢者の貧困が拡大している。

対立や分断、格差や貧困から生まれる怒りや憎しみは、好戦家たちのあおりによって容易に増幅していく。

政治家たちが暴走し、内閣に人事権を握られた官僚や検察や司法が機能不全に陥り、権力を監視する役割を担うはずのマスメディアもその役割を果たせずにいる。そのような中で、この国が「戦争」との距離を再び縮めるようなことがないよう、問題解決の手段から徹底して「戦争」を排除するコンセンサスを再び創り上げる実行力を持つのはもはや経営者しかいない。

大小問わずビジネスをつかさどるリーダーたちには、その覚悟が求められているような気がする。


(講談社現代ビジネスへの寄稿から転載)

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