2012年11月29日木曜日

21世紀の新しい秩序とは?

混迷を極めた民主党政権にようやく一旦終止符が打たれることになったのは喜ばしいことですが、次の政権を誰に託するのか?ということを考えるとはなはだ悩ましいですね。民主党の再登板は勘弁してもらうとして、かといって日本維新の会をはじめとするいわゆる第三極でははなはだ危なっかしいですから、やはりここは一度自民党政権に戻すしかないのだろうか、、、などと自分の一票をどう行使すべきかを考えあぐねています。

ところで、今、日本だけでなく、世界中が混迷の度合いを深めているように見えますが、これはマクロに見ると、おそらくネットやクラウドやソーシャルの登場によって、20世紀の秩序や常識が組み替えられるフェーズに入り、かといって、21世紀の新たな秩序や常識が着地点に至っているわけでもないために、世界中が混乱状態に陥っているのではないかと感じています。「政党政治」とか、「民主主義」とか、「国家」とか、「権威」とか「エスタブリッシュメント」などといったいわゆる20世紀的な概念の意味が大きく変わりつつあるのを感じます。ネットの発達によって、無限のコンピューティングパワーが安価に個人に解放される時代となり、個人がエンパワーされ、自分のアジェンダで活動し易くなったことにより、自分自身が所属するものへの依存度なども変ってきているのだと思います。ネットの中にボーダレスな地球がもう一つ出来上がっているような時代には「クラウドのリアルタイム性」ということがキーワードになっており、あらゆることが瞬間的に世界へ伝搬し、平準化され、ネットがなかった時代には他人事だったことが直ちに自分事になるような時代に我々は生きています。WikiLeaksのようなものも、単純に「悪」とも「善」とも論じることが出来ないようなネットの時代の新たな概念と言えますし、Googleにしても、もともと物議を醸すようなことをやり続けながらも、今や我々の生活になくてはならない存在に至っているわけです。

そう考えると、このような秩序の組み換えの時期、世の中が混迷を極めている時期というのは、実は大きなチャンスでもあると感じています。20世紀まで、西欧的な発想やスタイルが中心に組み上げられてきた価値観や秩序の中で、どちらかというと肩身の狭い思いをさせられてきた日本的常識や日本的スタイルの中には、実は新しいグローバル・スタンダードとして世界の常識にして行った方が今後の世界貢献に繋がるようなことがたくさんあるのではないでしょうか?震災時の日本人の行動パターンに多くの外国人が賛辞を送ってくれたのも記憶に新しいところです。日本人は戦後教育の中で、日本的なものを否定するような風潮や論調に過度に洗脳されて来ました。先日、アメリカ人の知り合いと話していたら、「日本人と話すと自国の悪口ばかり言うが、他の国の人達は自国の自慢しかしない」、と言っていました。そういう面も「謙譲の美徳」という意味合いでは日本人のいいところなのかもしれませんが、本音で自国の悪口を言っているとすれば大いに問題です。これからは、自国に自信を持ち、そのいいところをもっと積極的に世界に伝えて行く態度や行動がより重要と感じます。これまで、グローバライゼーションというと、一方的に世界の常識に自分を合わせる、というようなニュアンスが強かったように思いますが、日本人は日本人であることによってしか世界貢献出来ないわけですし、自国に根差したアイデンティティを確立した人こそが真の国際人と言えるのだと思います。

このような時代に生きる意味ということをよくよく考えながら今回の選挙に臨みたいと思います。

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