2012年4月30日月曜日
新・脱藩のすすめ -坂本龍馬の背中-
「変革は辺境から」という言葉がある。世の中の秩序が大きく変わる時、その源流は反主流の中から発生することが多い。我が国における明治維新という歴史的なパラダイム転換は、その前夜、時代の先を見据えて危機感を強めた若者達の体制離反、いわゆる「脱藩」という行動を促した。脱藩した憂国の志士達、すなわち命がけで体制離反した人達のエネルギーの爆発が古い秩序を打ち破り新しい秩序を構築する大きな原動力となった。
先日、所用で鹿児島県を訪れる機会があった。旧島津家別邸「仙厳園」から、目の前で噴煙を上げる桜島を望むと、幕末に日本の歴史を動かした旧薩摩藩が何故大きな経済力と軍事力を持つに至ったかを、地政学的観点からすんなりと実感出来た。当時は、欧州から南周りで海洋をたどると、最初に到着する日本の地はまさに薩摩であった。結果的に、永く薩摩は琉球や中国、欧州などとの海外交易の最前線として栄え、海外の最先端の技術や最新の文化が最初に伝来する地となった。江戸や京都などの日本国の中央・中枢から遙かに離れた辺境の地に、大きな変革のエネルギーが蓄積され続けていたのだ。
そして、そこから太平洋岸をやや北上した位置に、高知県、旧土佐藩が位置する。今も多くの日本人を魅了してやまない坂本龍馬は、ここ土佐藩の下級武士の次男として誕生した。私の龍馬に関する知識は、もっぱら司馬遼太郎の「竜馬がゆく(原題通り)」が下地となっているが、龍馬の一番の魅力は、やはり抜きん出た時代感覚の持ち主であったということだと思う。世の大半の人達には、今現在しか見えていなくて、発想も行動もそこからの積み上げになりがちなのに対して、龍馬は、これから進むべき世の中の方向性やそこから拡がる未来への想像力に優れ、想像した未来から逆算して今の自分の行動を決める、という演繹的な生き方を貫いた。理想主義者でもあったかもしれない。龍馬は若い時に、「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」という有名な歌を詠んでいるが、これなどは、Steve Jobsが遺した言葉、「Your time is limited, so don't waste it living someone else's life」にも通じるものがある。
考えてみると、龍馬は実にイノベーティブな生き方をした人であったともいえる。そもそもイノベーションには優れた想像力や演繹的な思考能力が求められる。たとえば、ライト兄弟の飛行機だって、当時の常識や論理の積み重ねだけでは生まれなかったはずである。「機械が空を飛ぶことは不可能」という結論で終わらせてしまうのではなく、「飛べるはずだ、飛ばしてみせる」と発想し、演繹的に考え、人の目を気にせずに行動したからこそ成功した。龍馬の発想や行動のパターンにもこれに近いものがあったように思う。
龍馬は革命家としてだけではなく、商人としての才覚にも秀でていた。亀山社中、後の海援隊は、龍馬が作った私設軍隊兼日本初の株式会社にあたるのだと思うが、このような形で浪士を組織化し、活動の為の財力と軍事力を確保した手腕も実に見事であった。だからこそ、薩摩も長州も土佐の一脱藩浪士に過ぎない龍馬の言うことに耳を貸さざるを得なかったのであろう。どんなに正論を主張しても、口先だけだったら相手にされない。理想主義者であると同時に、したたかな現実主義者としての面を併せ持っていた。多くの浪士や支援者を集め、遂には薩摩や長州をも動かして時代を変える求心力となり得るに至った多くの才に恵まれていたのである。
龍馬の生きた時代を現代になぞらえると、今の我々は、それこそ明治維新や太平洋戦争後に匹敵するくらいの時代の大転換期に直面していると感じる。高度成長期の栄華はとっくに過去の話となり、10年、20年の単位で国の劣化が緩やかに進んで来た。特に、インターネットの出現やクラウドコンピューティングの発達、新興アジア諸国の台頭等によって産業構造の根底が激変し、政策、教育、産業育成、大企業の経営改革など、多くの面で後手に回った我が国の国際的なプレゼンスは下がり続けている。
そんな中で発生した東北の大震災に何らかの意味を見い出すとすれば、日本人全員を覚醒させ、待ったなしの行動を促すきっかけになったということだろう。国家中枢の機能不全や東電の無責任体質を嫌というほど見せつけられ、原発の安全神話も完全に崩壊した。今こそ、20世紀的な価値観や、古い社会常識を無定見に受け入れた生き方を脱ぎ捨て、来るべきこれからの未来をまっすぐに見据えた新たなチャレンジをすべきタイミングだ。捨てたくない物を捨てることに価値があると気が付く為には、まず捨てないと始まらない。時代の転換期であることを見逃して従来の価値観に囚われて判断していては将来を見誤ることにもなる。そもそも、人は、ところどころで人生をリセットしたり、フルモデルチェンジをするのが望ましいと思う。結局、人の生き方を一番縛っているのは、過去の成功体験や周囲に刷り込まれた社会通念などであるからだ。成功体験は我々の成長に欠かせない反面、逆に成長の大きな足枷にもなってしまうし、地位や名誉や世間体など、余計なものに執着して変化やチャレンジを疎んじる原因にもなりかねない。
龍馬の時代の脱藩という行為を、今の時代に置き換えると、自分が長年所属してきた組織を飛び出す、たとえば会社を辞める、という行為がそれに近い。今回の震災をきっかけに、勤めていた会社を辞め、自分がもともとやりたかったことや社会的意義を感じることにチャレンジしている人に少なからずお目に掛る機会があるが、どの人も実に生き生きとしている。
今の時代は無限のコンピューター資源を手元のスマホなどから個人が気軽に無料で使える実に恵まれた時代である。デジタル・マーケティングやオープンソース等の発達で起業のハードルも下がっているし、クラウド・ファンディングや、クラウド・ソーシングなど、インターネットに繋がった世界中のマスの力を借りる為の手段も次々に生まれている。龍馬を始め、維新前夜の憂国の志士達から見れば、びっくりするようなパワフルで恵まれたインフラが整っているのだ。
福沢諭吉は、江戸時代から明治時代に生きた自分の一生を振り返り、「一身にして二生を経る」という言葉を残したが、変化のスピードが速い現代は「一身にして多生を経る」ことが出来る時代であると思う。惰性や妥協を排し、時代の恩恵を活用した新しい生き方にチャレンジすればその数だけ新しい世界を広げる好機なのだ。既存組織や既存秩序の中で息苦しさを感じている人達は、龍馬のように思い切って行動してみるといいのではないだろうか?結局、国も大企業も頼りにならない時代には、詰まる所、自分自身の頭と感性でこれからの時代の方向を見据え、自らのアジェンダで行動するしかない。自ら考え行動する個人が数として増えて行くことにより、それがやがて新しい価値や秩序を生み出し国を再生させる大きな力になって行くと信じる。
*文藝春秋スペシャル2012季刊夏号に寄稿した原文です。
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