2015年3月5日木曜日

地方創生のモデル都市、富山市

今月、いよいよ北陸新幹線が開通する。東京と北陸地方とを結ぶ新たな動脈がもたらす経済効果に期待する人たちは多い。そんななか、先日、富山市を訪問した。

富山市は、コンパクトシティ構想の下、「団子と串」というコンセプトの都市構造形成に取り組んでいる。各市町村を「団子」、それを結ぶ鉄道やバスなどの公共交通を「串」に見立て、市内の中心部を環状型にライトレール(路面電車)などで結びながら商業施設などの都市機能を集中させ、そこから各方面に繋がる沿線の居住地域には補助金を出すなどの形で、高齢化社会にも耐えうる効率的な街づくりを目指してきた。これは、地方都市再生のモデルとして、ほかの地方都市にも大いに参考になる取り組みとなっている。

実際、富山市は、2008年7月に低炭素社会の実現に向けた先駆的な都市として「環境モデル都市」に選ばれている。さらには、2011年12月に、その構想が、地方都市の課題を解決する有望なモデルになりうると評価され、「環境未来都市」にも選定された。

また、2012年6月には、OECD(経済協力開発機構)によって、メルボルン、バンクーバー、パリ、ポートランドと並んで、コンパクトシティの先進モデル都市にも選出され、世界的にもその評価を得るに至っている。環水公園周辺など、神通川や運河の景観を生かして街並みも美しく整備されており、まるでドイツなどヨーロッパの街並みを思わせるような雰囲気もある。

また、日本海側の岩瀬地区に行くと、その昔、北前船といわれる北海道との交易船の拠点として廻船問屋が栄えた地という歴史を大切にした街づくりが行なわれている。通りに面した建物の表側を地域単位で改装して、江戸時代の古い街並みを再現し、そこにギャラリーや工房やレストランや酒蔵を作るなど、京都の町屋の再開発に似たような取り組みで趣のある一角を形成している。ここにアーティストやデザイナーなどが集まり、まさに地域ルネッサンスのような活動の拠点ともなっている。

市内にある『樂翠亭(らくすいてい)美術館』などは、日本家屋の佇まいや日本庭園の景観を活かした素晴らしいアートの空間となっている。また、春日温泉まで足を延ばすと、『リバーリトリート雅樂倶(がらく)』というリゾートホテルがあり、その中のLevoというフレンチレストランでは、地域の作家が作った食器や家具と見事に調和した谷口シェフの素晴らしい創作フレンチを堪能することもできる。

東京一極集中の結果、その反動で日本の地方が抱える課題は多いが、一方で、さまざまな地方都市に行くたびに、日本人も知らないような素晴らしい発見もたくさんあり、日本の秘められた可能性を感じずにはおれない。

富山市が目指す「お団子と串」の都市構造
資料提供:富山市

2015年1月12日月曜日

無財の七施

2015年を迎えました。新年おめでとうございます。本年が素晴らしい年となりますことを祈念しております。

お釈迦様の教えに「無財の七施」というものがあるそうです。「お金をかけない」で人に喜んでいただくことが人間関係においてもっとも喜ばれることである、ということで、そういう生き方や態度を奨励するものです。

▼「無財の七施」
 1.優しいまなざしで人に接する(眼施・げんせ)
 2.温かい笑顔で人に接する(和顏悦色施・わげんえつじきせ)
 3.思いやりある言葉をかける(言辞施・ごんじせ)
 4.人のために手足を使い汗を流す(身施・しんせ)
 5.感謝の心で人に接する(心施・しんせ)
 6.自分の席や場所を譲る(牀座施・しょうざせ)
 7.一夜の宿を人に提供する(房舎施・ぼうじゃせ)

お金をかけずに態度や体で示す行為がいちばん人に喜ばれ、お金や物を使って喜ばれる行為をするよりも優先度が高いという教えです。こういうことは当たり前の話のようにも聞こえますが、実際に実行するのは簡単ではありません。いろいろと手間がかかったり、努力が必要となります。「笑顔」ひとつとっても、いつでも誰にでも実行できるものではありません。

昨年、YouTubeで見た2014年のTEDxSapporoのスピーチで、植松努さんという方が、「どうせ無理」という言葉をこの世から無くしたい、と熱弁を奮っていました。夢や希望を持って頑張っている人たちに対して、冷たい態度や心無い言葉で接し、そのやる気や自信を奪っていく周囲の人たちの存在が世の中の活力を削いでいる、という主張で共感するものがありました。世の中、実際には「無財の七施」の逆の行動をとる人のほうが多いということだと思います。

日本には「出る杭は打たれる」という言葉があります。こういう言葉が生まれるのは、日本の社会に根強くそのような体質があるからでしょう。最近の言葉ではKYというのもありますが、場の空気を乱し、出しゃばる人はとにかく嫌われます。何事も謙虚に、自分をアピールするよりも周囲に気を遣い、まずは相手を立てる、これは日本が長い歴史のなかで培ってきた美徳のひとつでもありますが、周囲と違うタイプの人を仲間外れにするような風潮は「いじめ」にもつながっており、改めなければならないものです。

昔のソニーでは、求人広告に、「出る杭求む!」や、「英語で啖呵の切れる人求む!」というようなキャッチコピーを使っていました。創業者のひとりである盛田昭夫さんも、「私は生意気な人が欲しい。ソニーというのは生意気な人の個性を殺さない会社です。」と発言しています。また、ソニーと並ぶ戦後企業の代表格であるホンダでは「能ある鷹は爪を出せ!」と言っていたそうです。それはなぜかといえば、世の中のイノベーションというのは大抵そういう人から生まれるということを知っていたからなのでしょう。やはりソニー出身で、ニューズワークステーションやAIBO等のロボット開発を手掛けた天外伺朗氏こと土井利忠氏は、『人材は「不良社員」からさがせ』という本を出しています。

直接お目に掛かったことはありませんが、昨年、青色LEDの実用化でノーベル物理学賞を受賞した中村修二教授などもまさに出る杭の典型だったようです。日亜化学工業時代の中村氏は相当な変わり者で、会社命令を一切無視し、人にも合わず、電話にも出ずに実験装置の製作に没頭していたと言いますし、特許訴訟に至った行動や言論は世間でも大きな話題になりました。

ただ傲慢な人や生意気な人が、必ずしも出る杭というわけではないでしょうし、そういう人をやみくもにちやほやしたところで、イノベーションを生み出すような偉業を達成するとは限らないと思います。しかし、真に出る杭な人たち、すなわち、打たれても打たれてもへこたれず、自分の信じる道を貫いて必ず結果を出すような馬力の持ち主に対しては、まずは世の中の人たちが上記の「無財の七施」を惜しげなく思いっきり施してはいかがでしょうか。夢や信念を持ってチャレンジする人たちにとっては、周囲の応援や激励や手助けが何よりの活力になるでしょう。もちろん、その上で、最後には「お金の支援」もしてあげれば、それだけでさまざまな「夢」が実現する世の中になるのではないでしょうか?

アベノミクスの成長戦略の最も有効な施策は、実は「出る杭たちへの無財の七施」に尽きるのではないかと思います。

2014年12月31日水曜日

大晦日から元旦へ

日本人の一人として、日本に生まれてよかったと心の底から思える瞬間は数多くありますが、大晦日や元旦もそうです。

「師走」は文字通りの慌ただしい日々が続きますが、これは、年が変わる前に仕掛かったことをすべてやり遂げてしまおう、という日本人の「けじめ」を大切にする精神性から来ているように思います。それに加えて、クリスマス商戦、年末の大売り出しなど、商売の面でも年の瀬はかき入れ時で、多くの人達が本当に忙しく動き回っています。

それが、大晦日を経て元旦を迎えたとたん、急に静かで清らかな雰囲気へと一変します。暦が一日切り替わっただけなのに、「動」から「静」へと、世の中が一瞬で転換します。大晦日から元旦に切り替わるこの瞬間は、過ぎ去った一年を想い、新しく始まったばかりの一年への決意や期待が交錯する特別な時間です。この瞬間を大切に思う気持ちは世界共通だと思いますが、さまざまなしきたりや行事の多さからみても、ことさら日本人のこだわりは強いのではないでしょうか。

さて、先日の衆院選は、当初の予想通り、戦後最低の投票率で盛り上がりに欠けたまま与党の圧勝に終わりました。自民党はこれで禊(みそぎ)が済んだつもりになっているのかもしれませんが、年明け以降、驕ることなく、幾多の難題に是非気持ちを新たに取り組んで欲しいものですし、我々も頑張らねばなりません。新しい年が素晴らしい年となることを心から願っております。

今年も皆様には大変にお世話になりどうもありがとうございました。どうか良いお年をお迎え下さい。

2014年12月9日火曜日

割れ窓理論

受け売りの話で恐縮ですが、アメリカの犯罪学者、ジョージ・ケリングという人が提唱する「割れ窓理論」というのがあるそうです。建物の窓ガラスがどこか一ヵ所割れていて、それを割れたまま放置していると、やがてほかの窓もすべて割られてしまうというものです。

かつてのニューヨークはアメリカ有数の犯罪都市でしたが、2001年9月11日の同時多発テロの時に「世界の市長」と称賛され有名になったルドルフ・ジュリアーニ元市長が、1994年に市長になった時に犯罪撲滅を宣言し、このケリングを顧問にして、「割れ窓理論」を参考に治安対策に取り組みました。地下鉄の落書きを完全に消すなど、街全体を徹底的にきれいにしたところ、それに伴って治安も良くなっていったそうです。今や日常のニューヨークは昔に比べるとずいぶんきれいで安全な街になりました。

人間は、このように他人や環境にとても影響されやすいもので、日本にも「朱に交われば赤くなる」という言葉があります。脳科学的にも、自分は運がいいと思うと運が良くなり、運が悪いと思うと運が悪くなるそうです。ネガティブな人にはネガティブなことが起き、ネガティブな人達とネガティブな話ばかりしていると、幸運は間違いなく逃げていくそうです。また、常に誰かの悪口や愚痴を言っているネガティブな人と付き合っているとどうしても感化され、気付くと自分もそのような人になってしまいます。とても怖いことです。

だからこそ、「いい人」と付き合うべきです。プラスの影響を受けるような人と付き合って、自分をいつもポジティブな状態にしておくことが大切です。大企業や大きな組織のなかには、常に職場や上司の悪口を言っている人が必ずいるものです。最近は「ディスる」という言葉もありますが、飲みに行っても愚痴や悪口が好きな人で溢れています。できるだけ、そういう人達とは距離を置いて付き合わないことです。

私も、独立してからは、自ら稼いでいる人達や自分のアジェンダで生きている人達と交流する機会が格段に増えました。そういう人達は、皆さん、いつもポジティブで理想に燃え、元気で明るく生き生きしていてエネルギーに溢れた方が多いように感じます。

「真剣だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳ばかり」という言葉もあります。「命懸け」という言葉もすっかり死語のようになりましたが、常に元気で、真剣に、命懸けで生きて、愚痴や言い訳とは無縁の日々を目指したいものです。

2014年10月8日水曜日

アル・ゴア氏の講演

先日、米国の元副大統領アル・ゴア氏の講演を聞く機会がありました。ゴア氏は2007年にノーベル平和賞も受賞しています。受賞理由は、「人間の活動によって引き起こされる気候変動の問題を知らしめ、対応策の土台を築いた」というものです。周知の通り、「不都合な真実」と題した映画を作り、また同名の本を出版して、地球温暖化がもたらす深刻な環境悪化の問題を世界に知らしめる活動に注力している人物です。現在までにこのテーマで行った講演活動の回数は1000回以上にもなるそうです。

彼の話を聞きながら、それこそ、数十億年も続き、人類が誕生してからでも数十万年も続いてきた地球の生態系が、直近の数十年、特にここ最近の20年~30年程度の間にどれだけ急激に悪化したか、ということについての危機意識を新たにしました。地球温暖化は確実に進み、北極と南極の氷河はどんどんその面積を縮小しつつあり、いたるところで海面が上昇し、異常気象が頻発しています。デング熱を始め、熱帯の病気が北上を続け、また、先日は、世界で4番目の大きさといわれていた中央アジアの内陸湖であるアラル海がほぼ消滅した、というニュースも耳にしました。

ゴア氏は、地球温暖化は急速に進行中であり、それが人為的であること、そして人類が生き延びるためには、温暖化問題に世界全体が協力して取り組まなければならない、ということを巧みな話術で熱弁しました。彼の映画はイギリスで上映差し止めの訴訟沙汰になったり、また彼自身が温暖化利権で環境長者になった、ということでネガティブなキャンペーンもありますが、彼のように世界的に影響力のある人物が、この問題に長期にわたって精力的に取り組み、さまざまな活動を続けていることには素直に感銘を受けました。また、同時に、今からでも我々一人一人が地球を守る為の意識をさらに高めて行かねばならないという思いを新たにしました。

ゴア氏といえば、思い出すのはクリントン大統領と一緒に情報スーパーハイウェイ構想を打ち立てたことです。1993年頃ですから、まだインターネット前夜でしたが、放送と通信の融合など、情報インフラ整備の積極的な政策を打ち出して一気にネットワーク時代の到来を招き、後のグーグルの登場にも繋がりました。情報スーパーハイウェイ当時、私はソニーで関連のプロジェクトに携わっていたので感慨深いものもありました。

2000年の大統領選では、ジョージ・W・ブッシュと最後まで激戦を繰り広げて僅差で落選しましたが、歴史に「もし」はないものの、「もしも」彼が勝利していたら、その後の9.11やイラク戦争もどうなっていたかわかりませんし、世界はまた違った姿になっていたかもしれない、などといういらぬことも妄想してしまいました。。。

2014年10月6日月曜日

ソニーはどこで間違えたのか

すっかりおなじみの光景となったソニーの業績下方修正。そのたびにメディア各社からの問い合わせが入る。いったい、ソニーはどうなってしまったのかと。私がソニーを辞めたのは〇六年三月のことであるから、既に九年近い歳月が流れた。ソニー時代最後の数年間の思い出はいまだにほろ苦く、当時の記憶は完全に封印したくもある。

巷ではさまざまな評論家達がソニー凋落の理由を取沙汰する。中には、直接取材もせず裏もとらない憶測と偏見に満ちたいい加減なものも散見される。しかし、ただ一つ言えることは、ソニーの凋落を誰よりも無念に思っているのは、ソニーを心から愛し、ソニーに人生を捧げ、ソニーの一員であることを誇りに思って力尽きるまで闘い抜いた戦士達なのではないだろうか。そしてその多くがそれぞれの闘いに敗れ、評論家や傍観者達には決してわからない思いを胸に残しながら、ソニーを去った。

私は、ソニーを辞めるとき、遠からずこのような凋落の日が来るであろうことを予測した。既に当時から、ソニーは持てるエネルギーの大半を外向きよりも内向きに使って、自らを消耗させるような陰湿な体質の会社に変容しつつあったからだ。内部抗争や保身にうつつを抜かすような連中が急激に異常繁殖し始めていた。盛田昭夫さんは「ネアカ」という言葉を好んで使っていたが、まさに「陽」から「陰」への体質転換が急速に進んでいたのだ。

以前のソニーには、好奇心旺盛で負けず嫌いな目をキラキラさせた少年達が集まっているような無邪気なところがあった。それを井深大さん、盛田さんという二人の偉大な創業者を始め、世界のソニーを創り上げた珠玉のような重鎮達が見守り、育て、世界に羽ばたかせてくれた。とんでもない跳ねっ返りエンジニアのぶっ飛んだ商品アイデアの話に嬉しそうに耳を傾け、時には一緒に悩み、時には見て見ないフリを決め込み、たとえ失敗しても、上手に闇に葬ってなかったことにしてくれるようなおおらかで懐の深い上司がそこかしこにいたものだ。文字通り「自由闊達」な雰囲気に満ちた光り輝く宝石のような会社だったのだ。

「ソニー神話」という言葉もあったが、全盛期のソニーは、モルモットとも呼ばれ、トランジスタ・ラジオや、トリニトロン・テレビを始め、時代の最先端を行く家電を次々と生み出していた。パーソナル家電という分野もソニーが創造した市場であり、パーソナルオーディオの先駆けとなったウォークマンや、パーソナルゲームの流れを作ったPSPなど、現在のスマホにも繋がる系譜を生み出した。また、犬型ロボットAIBOや、人型ロボットQRIOなどを誕生させた会社でもある。「人のやらないことを真っ先にやる」を信条とし、グーグルなどが登場する時代を圧倒的に先んじて最先端の分野に取り組んでいた。

そんなソニーの異変を初めて強く意識したのは、〇二年頃、「コクーン」というマシンを作った時のことである。Linuxを用いたコンピュータとしての家電であり次世代テレビを意識したマシンで、ハードウェアだけでなく、インターネットとの連携を重視して専用のポータルも同時に開発した。基本コンセプトは「成長する家電」。顧客が購入して使い始めると、その好みを学習しながら機能をカスタマイズしていく、という当時としては画期的なマシンであった。ネットを通じて常にファームウェアを最新のものに自動更新する機能も備えていた。しかし、当時の経営幹部の中でこのマシンの真の意味を正しく理解できる人はほとんどいなかった。明らかに触ってみたことすらない連中から的外れな批判をされることもあった。あれだけ新しいものが好きで、好奇心旺盛だったソニーの根幹に異変が起きつつあるように感じた。

決定的だったのは、コクーンに続いて、〇三年に「スゴ録」という家庭用録画機を作った時のことだ。当時、国内マーケットでは、先行したパナソニックの「ディーガ」のシェアが圧倒的だった。カンパニーから工場、営業まで一丸となり巻き返しに躍起だったさなか、あろうことか、同じソニーグループから「PSX」という対抗馬をぶつけられたのだ。市場ではスゴ録の圧勝だったにもかかわらず、何故か私はカンパニープレジデントを解任された。この時、当時の上司だった上席常務からは「ソニーだから出せば売れるんだ」と言われた。既に劣化し始めていたソニーブランドの威信を取り戻すために共に必死で闘った仲間達の顔が浮かび悔しくてならなかった。ソニーブランドの価値にただぶら下がって食いつぶしているだけの怠慢で傲慢な発言だと思った。

そして、私がソニーを去る直接のきっかけとなったのが、ウォークマン巻き返しのコネクトカンパニーを引き受けたことだ。最初からほとんど勝ち目のないプロジェクトを引き受けるのは無謀で、硫黄島に送り込まれる青年将校のような悲痛な思いであったが、まだ今ならぎりぎり何とかなるかもしれないと一縷ののぞみに賭けた。しかし、当時の副社長の一人から、「アップルに頭を下げてiTunesを使わせてくれ、と言えばすむ話だろ」と言われたことは忘れられない。社運を賭けて懸命にアップル対抗をやっているそのさなかに、まさに信じられない発言であった。コネクトカンパニーは発足から一年余りで解体となり、私は文字通り敗軍の将となってソニーを去った。

ワークステーションや、ロボットなど、多大な貢献をされた天外伺朗氏が、後年、ソニーの「燃える集団」が、次々と奇跡を起こした秘密を「フロー理論」で説明しているが、運をも味方にしてしまうような数々の奇蹟は、井深さんのような技術者による、指示も命令もしない「徳」でおさめる「長老型マネジメント」の功績であるとしている。しかし、その後のソニーは、ロボットという次世代産業をゼロから築き上げるような壮大なチャレンジですら、「儲からない」という理由で惜しげもなくつぶしてしまい、天外氏もソニーを去った。

ソニーが復活するためには、まず、今の内向き体質や無責任体質を一掃することが急務だろう。社員に夢をもたせ、楽しんで困難にチャレンジする燃える集団を創り上げて難局を打破するのが経営の責務である。業績悪化のたびにその責任を現場社員に転嫁し、リストラばかり繰り返すうちに、すっかり「陰」の暗い体質が染みついて取り返しがつかない状態になりつつある。 

そして、脇道に逃げないことだ。課題に正面から向き合わずに会社の建て直しが叶うはずもない。既にVAIOは売却し、テレビも分社化した。失われた時間や人材や資産を取り戻すことはできないし選択肢も限られている。

「海賊とよばれた男」出光佐三氏は、戦後、出光興産の再興にあたって一人の社員のクビも切らず、玉音放送の直後に「愚痴を止めよ」というメッセージを発信した。「戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び起ち上がる」と述べ、「ただちに建設にかかれ」の号令と共に艱難辛苦をものともせずに出光興産を復活させた。今のソニーに欠けているのはこのような強烈なリーダーシップであろう。

愚痴や言い訳やリストラはもういい。日本人が創業して世界企業に育て上げた誇りを再び取り戻すのだ。そして、困難な道に自ら飛び込む志の高いサムライ達を再結集し、自分達をどこまでも信じて脇目も振らずに全力で身を挺して再建にあたる。そうすれば不可能なことなど何一つない。そう信じている。

*本稿は文藝春秋社の週刊文春10月2日号(9月25日発売)掲載記事の転載です。

2014年10月4日土曜日

朝日新聞の件で思うこと

少し前、朝日新聞の問題が大きな騒ぎとなりましたが、細かい論評はここでは避けるとして、従軍慰安婦問題では、信憑性のない証言をもとに、日本軍による強制連行があった、と誤報道し、それも一つの大きなきっかけとなって、我が国が国際的に大きな誤解を受ける結果となりました。その上、その事実誤認を認めるのに32年もの歳月が掛かり、明確な謝罪もしていません。福島原発の吉田調書の曲解報道もひどいものでした。9月11日の木村伊量社長の会見は、その会見そのものが自社や自分の保身を目的としたものであったことが透けて見えるような内容に終始し、この報道機関の体質をより一層はっきりと世間に晒してしまいました。

結局、自分の耳に痛いことや厳しいことを言ってくれる人を大事にできるかどうかがその人や組織の器量を決めるものだと思います。池上彰さんのコラム掲載拒否の一件がわかりやすかったですが、朝日は、自分達に都合の悪いことを握り潰すような体質がすっかり染みついていたという印象も世間に与えてしまいました。公正さが信条の報道機関の資質はもはや失われてしまったのでしょうか。欧米のメディアでは、社説と異なる外部有識者の意見をOp-ed(Opposite editorial)と称して積極的に掲載しバランスを保つ努力をしています。池上さんのコラムもまさにそのような役割を果たすためのものであったと思いますし、それを普通に掲載していればまだ救われたと思いますので、本件の対応を誤ったことも残念でした。

しかし、今回のような話は、果たして朝日新聞だけの問題でしょうか?決してそんなことはなく、ごく日常的な光景でもあると思います。人間というのは実に弱く愚かなもので、すぐに勘違いして傲慢になったり、尊大になったりして、外部の批判に激高したり、内部の諫言を退けたりするものです。これをまさに他山の石として、いま朝日新聞のバッシングに躍起になっている競合メディアや、その他一般の人達も、普段の自分の態度を振り返るきっかけにするのがいいのではないでしょうか。耳の痛いことを直言してくれる人、厳しく批判してくれる人、普段の立ち居振る舞いにこまごまと注意をしてくれる人、そういう人に対して怒ったり、煩わしく思ったりするのではなく、かけがえのない人として、謙虚に耳を傾け、心から感謝しているかどうか、ということを。

結局、組織の凋落というものも、人の傲慢さに端を発するものだと思います。日本にはいいことわざがたくさんあります。「おごれる人も久しからず」、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、「勝って兜の緒を締めよ」等々。昔、ソニーの盛田昭夫さんは、世の中が好景気で、会社も絶好調の時に、真っ先に「荒天準備」と言っていました。海軍や船乗りの言葉で、「嵐に備えよ」ということですが、好景気や、会社の好業績に浮かれることなく、常に自ら気を引き締めていたのだと思います。

今のソニーの状況や、朝日新聞の状況は、どこかに共通点があるのかもしれません。

(*講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です)